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トーゴの自宅建築 ~ガンダマーの家造り~

中古住宅を改築したガノタ(ロボアニメマニア)の、優雅?な生活(笑)。

5月5日は、こどもの日。だけじゃなかった。

●久々の更新です。すっかりSNSにハマり、ブログ更新をおろそかにしております。

久々に筆(?)を取った理由は、やはり「けん玉」です。

先日の2015年4月29日。わたくし

けん玉道 五段

となりました。

このブログの前記事を参照していただければわかりますが、小学校三年生の時に半年ほどやって以来、気にしていたけどほとんど触れていなかった、けん玉を昨年4月から本格的に再開しています。

※昨年2014年7月25日 秋葉原での練習会にて準初段を取得した時の様子。
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●きっかけは前記事の窪田氏のパフォーマンスへの憧れと、けん玉を通じての社会の活性化への思いに共感したことですが、自分から何かを発信するには絶対に
肩書き
が、大事になるということは20年間社会人をやってきて痛感しております。

将来、けん玉を教えるにしても、町おこしをするにしても、

けん玉をやってる人

という肩書きだけでは、ほぼ大人の社会では受け入れられない。

発言も軽んじられますし、何より信用されない。

将来の為にも・・と、段位取得を目標に掲げたのが昨年7月。

そんなワタシの

「けん玉道 段位」

の取得歴(覚書)が今回の記事であります。

※同日に「もしかめ」1000回達成。AKIRA六段の立会いで。
1000回

●2014年7月5日
Twitterで、たまたまけん玉教室へ行くと書き込んでいた人(今では一番の練習仲間だ)に場所を尋ね、都内神田神保町にある日本けん玉協会本部での練習会に参加。

再開後初めて、ひとりぼっちじゃないけん玉を経験した。

意外と人が多く、皆が気さくに話しかけてくれて、けん玉をやっている人に悪い人はいないと初めて感じたのはこの時だ。

まずは昇級試験1回で到達できる最高位の「準初段」を目指したのだが、「もしかめ」で撃沈。一級どまりとなった。

もしかめとは、大皿→中皿→大皿・・とリズムよく玉をのせ続けるワザのことで、これが最低100回続かないと準初段への受験資格が無いのだ。ちなみにこの時は規定の2回挑戦で最高73回。悔しかった。


●2014年7月25日
再び誘われ、初めて秋葉原にあるヨーヨーショップ「spingear」が主催する、社会人向けの夜の練習会「スピンジャム」に参加。

spingearに所属するAKIRA六段が審査員となり、まずは「もしかめ」の検定を実施。自主練習でも当時到達したことのなかった1000回を成功させ、自分が一番驚く。

当時買ったばかりの、新型けん玉

大空 プレミアムゴールド

の性能のおかげというべきか。

その勢いを駆って、準初段も合格。


●2014年8月9日
茨城県つくば市内にある

千年一日珈琲焙煎所

という喫茶店で、ちょっとしたけん玉イベントがあることをSNSで知り、参加。

※昇段審査の立会いをしてくれたTaku Hatanaka六段と。
つくば

当時は広島県廿日市市で開催された「けん玉World Cup2014」が催された直後で、Takuちゃんは世界の強豪選手を抑えて予選2位という結果を残した、ダマー(けん玉フリークの愛称)の誰もが認める日本のトッププレイヤーです。
この時は、ほぼTakuちゃん独り占めで練習させてもらい、初段合格。


●2014年9月20日
都内大塚駅前にある「一心病院」で定期的に催されている

日本けん玉協会豊島支部練習会

にて、支部長のSHUさんと、T十段の立会いのもと昇段審査。弐段合格。

この頃は昇段以上に10種のワザを連続できめる「タイム競技B」の45秒未満クリアを目標に、練習していました。
「タイム競技B」をクリアしないと五段以上の昇段審査を受けることができないからです。

初めてのタイム競技計測審査。結果は散々だったことは言うまでもありませんが(汗。

※練習会後の記念撮影
かい



●2014年11月24日
夜勤あけで参加した代々木公園での「関東ブロック練習会」。

少し寒かったですが、けん玉をやるにはちょうど良い。風も無くグッドコンディションの中、参段合格。

※ダマーと会えるというだけで楽しくて、練習がおろそかになるのは常・・。
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この日はタイム競技Bの計測はあきらめて(笑、昇段に集中しました。理由は審査の規定技が増えていること。そしてそのワザが苦手なことです。結果はやはりギリギリ。


●2015年1月12日
年末は自分には珍しく、それなりに集中してタイム競技Bの練習。

都内台東区で催された関東ブロック練習会。やはり、私らしくギリギリでタイム競技Bをやっとクリア。

このタイム競技は、正直言うと昇段審査そのものよりもクリア条件がシンドイ(ワタシ的には)。大嫌いになりました(笑。

その勢いで昇段審査。四段も合格。

※昇段審査自体は、参段に比べれば余裕のある結果に。
よんだん


●次は五段。と、当然なるのですが、この五段。わかる人にはわかる難関なのです。上の写真右隅に小さくワザの合格規定数が書いてありますが、五段は合格までの回数が四段までより多く、難しいワザも増えています。

経験した人は皆、「四段と五段の間には壁がある」と言う程の難易度の隔たりが存在します。

昇段後、一ヶ月を経過すれば次の昇段審査を受けることができますが、さすがに今回ばかりは慎重にコトを構えることにしました。

四段合格直後に開催された、協会主催の3人1組で競技に参加する

「日本けん玉協会 チーム戦」

に飛び入り参加し、都内在住の少年たちと組んだ即席チームで、ハンデ戦ながら全国の強豪チームを撃破して優勝するという名誉にあずかる幸運もありながら、五段の昇段審査にかかわるワザを練習する日々でありました。


●2015年4月29日
この日は協会主催、けん玉の指導員養成の

けん玉認定ライセンス講習会 認定ライセンス 2級指導員 講習会

を受講する為、長野県上田市に赴いていました。

協会の会長、副会長、理事、甲信越ブロック長と、いわゆる

エライ人しかいない

というステージを、あえて五段昇段審査の場面として選びました。

けん玉を再開後、チーム戦では良い結果を残せたものの、緊張する場面の経験は1年未満である故にほとんど無いのが実情。

であれば、昇段に失敗しても後々の経験になる緊張感を体験しておきたかったのです。

※規定技11種の最後のワザ、二回転灯台。10回中8回目でやっと成功。
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10回目までもつれ込んだワザもあり(はねけん)、後ろで見てくれていたダマ仲間をかなりハラハラさせてしまいましたが、やはりギリギリの、五段合格となりました。


●この五段合格は、通過点にすぎません。

けん玉の指導者の多くは五段であることは知っていますが、できれば昇段審査で上がれる最上位である六段にも挑戦してみたいですし、もっと様々なワザを覚えたいし、より精度も高めたい。

人に見せられるレベルをもっと高めて、より多くの人に興味を持ってもらいたい。

超高齢化がすすむ地元の一助になるには、まだ、あまりにも非力です。

家族やダマ仲間、ダマ賢者の皆さんに助けられていることに日々感謝しながら、これからも努力していく所存です。

😊

●そういえば。題名にある

5月5日

は、こどもの日以外のなんなのかと申しますと、

日本けん玉協会 設立記念日

なのでございます。(1975年5月5日設立)


私が埼玉県に住んでいた頃。学校から帰宅しても家には誰もいない共働き家庭の児童が集まる

児童センター

で、大勢の友達と共に初めてけん玉に触れたときは既に

「協会けん玉」(旧さくら)

が使われていて、今と同じように昇級審査をやっていました。

当時の私は小学3年。1983年頃ということは、協会設立から6年くらいしか経っていなかったんですね。

もっと歴史が長い組織かと思っていたので、コレを知ったときは自分の過去にもリンクすることだったので感慨深かった。

組織を設立し、歴史を刻むことの重みと、今のけん玉事情につながる諸先輩の努力を想像すると、一時のブーム・流行だけでは語れない数々の苦労があったのだろう・・・と、先日の講習会を受講しながら思った次第でありました。

:)

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トルソーを自作してみた。

⚫︎けん玉に夢中になってから、はや1年以上が経過しました。

先月には広島県廿日市市にて開催された

けん玉ワールドカップ2015

に、初参加。

はなから決勝に残ることはないので、2日目の決勝大会では昨年製作した

ダース・ベイダー のコスプレ

をあらかじめ持参して、決勝で白熱する大会会場を闊歩させてもらいました。

※広島のNHKニュース映像で技をキメるベイダー(ワタシ)が放送されちゃいました。
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⚫︎このコス、畳んで置いておくと傷んじゃう。

でもマネキンやトルソーを買うと高価。

ということで、ググったヒントを参考に、なるべく安価に自作しました。

※コレがキモ。「ダクトテープ」。
い

※いらないステテコとTシャツを着て、グルグル巻きに。
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※たまに姿勢を確認。背中などは手伝ってもらいます。
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※まんべんなく貼った後、シャツやステテコごと、セミの皮のごとくハサミを入れて脱ぎます。
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※木材でスタンドを作り、ダクトテープで作った自分の皮(笑)を着せ、新聞紙を詰め込み、テープで閉じる。
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※100円ショップで600円で買った(笑)ヘッドを取り付けながらの作業も、やっと完了。
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※そして着せた。
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⚫︎これはトルソーなので、本来は下半身無しになるはずなのですが、予備のズボンを股下まで切って、無理矢理着用。

身長や肩幅、腰ベルトを付けるための尾てい骨になる木材フレームなど、設計はしないで工程ごとに微調整しながら作業を進めた結果、運良く自分とジャストサイズのトルソーが製作できました。

ダクトテープは多めのものを一本購入したのですが、ほぼ使い切りましたがね・・・。

※自分で置いたのに、たまに驚く。
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けん玉の「いま」

●お久しぶりの更新です。

2014年春から、けん玉を本格的にはじめて(正確には再開)2年が経過しました。

世間一般では日本発祥であるにもかかわらず、あまりにも知られていない

けん玉

という玩具と「日本けん玉協会」について、さらには近年の世界に広がったムーブメントの、興り(おこり)について書こうかなと思います。


●けん玉は日本発祥か●

16世紀のヨーロッパ、特にフランス貴族の間で流行し、その後も何度か流行した

「ビルボケ」

が、けん玉のルーツとされています。しかし、ビルボケはこんにちのけん玉のような規格が無く、穴が開いた丸い玉とそれに刺すことができる「剣」という要素以外は自由に作られていたようです。

この「ビルボケ」にも、もとになった玩具は存在していたようですし、エスキモーに伝わる骨で作ったオモチャにも「穴」「ヒモ」「剣」で同じような遊び方のものがありました。日本の江戸時代の文献には「皿、ひも、玉」で遊ぶ玩具存在してます。ですから「ルーツ」となると、「未だわからない」というのが事実らしいです。

みなさんご存知の「3つの皿、けん、穴の開いた玉」というカタチは、大正時代に広島県廿日市市の木工会社が特許をとり

「日月ボール」

と名付けています。これが「日本発祥」たる根拠となっています。

2014年から開催されている

KENDAMA World Cup

の開催地が広島県廿日市市であるのは、それゆえなのです。



●日本けん玉協会とは●

1975年(昭和50年)に映画「南極物語」のもととなった「タロ・ジロは生きていた」の著者である児童文学作家の藤原一生が設立。ルールや技の名前を統一し、段・級の制度を作りました。

当時、まさにリアルタイムで「子供」だったからわかるのですが、けん玉は「技」がすぐにはわからないゆえに「コマ」や「メンコ」に比べると、友達どうしでは遊びづらかった。「級」という目標は、けん玉で遊ぶ理由としては良い材料だったし、けん玉協会の指導員は、教育関連の仕事に就いている人がほとんどだったから、「礼節」や「マナー」などもしっかり子供に伝えていたから、学童保育を中心に全国へ協会の活動は広まっていきました。

1990年(平成2年)から開催されている「少年少女全日本けん玉道選手権大会」は、協会の一つの夢の実現だったでしょう。
2014年には日本けん玉協会は公益社団法人となっています。

大会ルールや、技の選定などは前述の「級・段」で設定されている技が主に採用され

ミスが許されない

というプレッシャー・緊張感に負けないことが必須となっています。


基本ルールは「級・段」の審査同様


失敗しなかった者が勝つ

というのが協会けん玉ルールの特徴です。



●今後のけん玉協会の課題●

世界に多くのKENDAMAプレイヤーが存在する現在、「級・段」にとらわれない、自由な発想かつ、はるかに高難度の技を繰り出すプレイヤーが多数となりました。

しかし、多くの海外プレイヤーの視点にも、「ミスをしない」という協会けん玉ルールで技を磨いてきた「けん玉道」精神は大いに尊敬されています。それは自分も前日のプレ大会に参加した、昨年(2015年)の協会40周年記念世界大会での海外プレイヤーの視線や言動でそう感じました。

現在、海外のけん玉プレイヤーはティーンエイジャーを中心に、驚異的な技を日進月歩の勢いで向上させており、今後も技の難易度をどんどん上げていくはずです。
反面、それは「これからKENDAMAをはじめたい」という者にとっては「高嶺の花」になりかねず、プレイヤー人口を増やす意味では弊害になりかねないと思っています。

しかし、技の難易度を旧来のまま変えず、大会などでも

「ミス待ち」

となるのは、私は論外だと思っています。かと言ってプレイヤー人口が増えない、一部の人だけが遊ぶダケというのも、やはり面白くない。

今後は日本国内だけでなく、世界にも視野を大いに広げ、「けん玉道」の理解を深めていき、初心者やスキルの伸び悩む者にも楽しめる方策を世界に伝えることが、協会の活動課題の一つといえると思います。



●世界に「KENDAMA」が広がったワケ●

最近ではたびたび、テレビなどで

「海外でけん玉が流行ってる」

という紹介をしています。

私的には「流行ってる」という言葉はイヤなので

「広まっている」

と言ってほしい(笑

世界的には一部地域で「流行り廃り(すたり)」がありまして。
その典型的な地域はハワイです。

私がけん玉を再開した2014年春にハワイではKENDAMAが大ブームとなってましたが、現在は・・・なのです(´;ω;`)

そのブームはもとより、世界への広がりへの火付け役は、

KENDAMA USA

のYouTube動画でした↓

「コリン・サンダー エディット8」




海外に広まったキッカケは

→ある海外スキーヤーが来日して、けん玉を持ち帰る
→スキーのトリックビデオのボーナス・トラックとして、KENDAMAのトリック(技)を収録
→海外の視聴者「なんだこのクールなツールは?!」
→作って売ったろ

という感じらしい(ザックリ)。

ふたつめのビデオには、当時のKENDAMA USA所属の主要プロとともに、GLOKEN(グローバルけん玉ネットワーク)代表の窪田保さんや、のちにKENDAMA World Cup 2014で第3位となる秋元悟さんなども出演しています。

もともと映像の仕事をしているColin SanderがKENDAMA Editを自ら撮影・編集し始めたことは、Youtubeで動画を見ることが世界的に自然な行為となった昨今、物凄く大きな意味があったと思う。

けん玉を使って、当時の日本人はこんなにスタイリッシュな映像は作れなかったはずだから。

海外のKENDAMAプレイヤーに「Colin Sander Edit」の話をすると、必ず「見た」と言ってくれる。そのぐらい世界へのKENDAMA普及に貢献したビデオなのだ。


KENDAMAは「けん玉」であり、日本発祥。とわかると、日本人の映像も海外から注目されるようになる。それが前述の秋元さんの映像であったり、コレだったりするワケです↓



この映像をUPした嶋寺さんは、協会系の技とその応用技をスローや自分視点などを交えて紹介してくれています(当時GoProなんか無い)。コレも海外プレイヤーに聞くと「見た」と言われる動画のひとつ。音楽が耳に残って仕方がありません(笑)



●YouTubeではじめ、instagramとFacebookで継続●

KENDAMAの技ができるとタグ付けして、インスタグラムやフェイスブックに動画でアップ。

自慢をする行為でもあるし、自分の記録にもなる。

コメントや「いいね」で国内外のプレイヤーとつながり、お互い切磋琢磨できる。

1975年に日本けん玉協会を設立した時には、全く想像もしなかった現象がけん玉(KENDAMA)を通じて起きています。こんなアラフィフおやじの私でも「KENDAMAをしている」というダケで、インスタグラムの国内外フォロワーが500人を超えているのです。世界にどんどん「KENDAMA友達」が増え続けるのです。

たかが、けん玉

なんて言わないで、いや、言わせないゾ!!それを

もっと、日本人にわかってほしい。





次回は「世界のKENDAMAメーカー」について書く予定です。

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